岡崎八幡宮

 船木地域の産土神(うぶすなのかみ)で、古くから鎮守として尊敬されてきました。応永3年(1396)大内義弘が再興し、神田を寄進、大内義弘も再興しましたが、陶春賢の防長大乱の時、兵火のため、炎上し歴代神宝が焼失しました。天正4年(1576)杉重良により再建され続いて毛利家もたびたび修復しました。社前のクスノキ古樹は、樹齢推定700年といわれ、この木に生息しているシーボルトコギセルという巻貝は潮の干満に合わせ上下する習性を持つことから航海の安全のお守りとされました。また、当宮は、御神酒清酒醸造免許認可神社で酒醸免許認可を明治32年10月5日に受けています。全国で酒醸免許を認可されている神社は、伊勢神宮、出雲大社、千葉県莫越山神社、と当宮の4社だけです。

 

平成9年4月(楠町教育委員会)

 



全国でも珍しい白酒(しろき)の神社

 

  お神酒の造り始めは、神功皇后がこの中国地方にて米の作り方を習われ大阪に帰られる時、この 地にお手植えになられた米でお神酒を作り、神様にお供えしたのが始めと言われている。
 大阪の住吉大社に「皇后、米の作り方を習い帰らる」の故事があるその米を早米(そうまい)と申し、稲穂 の背丈が170cmにもなる。毎年のお田植祭により、種子は継承されている。
應永3年(1396年)長門の国守護職大内義弘は当宮に神田寄付、古事により毎年旧暦二月に神殿早米植え 付けをなし祈年祭とし、6月中に刈上げ、早米初穂をもって御神飯(おんみけ)・御神酒(おんみき)を作り 新嘗祭を奉仕する。
 後に、藩主毛利家の御崇敬篤く、祈念祭、新嘗祭を執行する。武運長久、五穀豊穣の御祈祷を執行し早米を 毛利家に献上、その御礼として毎年、42石の酒米が毛利家より当神社に献納された。
 奈良時代より酒造監察制度はあり、社家の宇津見家が代々醸造に携わり、口伝えにより継承されている。現 在の醸造法は室町時代の醸造法である。 明治時代になり、酒税法により明治32年10月5日酒醸造免許を得る。御神酒清酒醸造免許神社は、全国で 伊勢神宮、出雲大社、莫越山神社と当岡崎八幡宮の四社だけである。その他40社が、ドブ醸造神社、いわゆる ”どぶろく”の醸造神社である。

 

 

<現在の状況>
  昭和9年に現在の御神酒醸造殿が建立された。 戦前は旧暦2月、9月の年二回の醸造であったが、戦後年一回の10月の醸造となった。 室町古来の製法のため、その年の気象条件によって御神酒の出来の善し悪しが左右されやすいが、最近では山 口県産業技術センターの協力により良質の御神酒が出来つつある。 

Q&A

質 問 答 え
 岡崎八幡宮の御神酒は、他の神社の御神酒とどう違うの?  一般の神社は、市販の清酒を御神酒としているところが多いようです。また、所謂ドブロクを醸造してい る神社も全国で40社ありますが、当宮のような清酒醸造は伊勢神宮、出雲大社など4社しかありません。
白酒(しろき)て何? ドブロクを濾過し液体のみにしたものが清酒です。しかしその清酒も実は酵母などにより白い色をしてい ます。そのため「白酒」と言います。なお、市販の清酒は、白酒の澱(酵母が分解した米など)をさらに沈殿さ せているので、透明状になっています。
どれ位造っているの? 以前は1石(100升=1,800L)でしたが、平成9年より2石を醸造しています。ちなみに、酒税法に基づ き税金を毎年税務署に払っています。
いつ御神酒を飲めるの? 10月の第3日曜日の岡崎八幡宮の秋祭り、11月の第3週位の土・日・月の新嘗祭、正月3ケ日、2月の 節分の日です。(10月、11月は日にちを事前にご確認下さい。御神酒は限りがありますので無い場合もあります。)
どうやって御神酒を造るの?

室町古来からの製法で、宇津見宮司家が代々口伝にて伝えられ、酒殿にて宮司さん1人で造っています。 今回特別に製法の概略を教えていただきました。

1.米や水から乳酸菌を造る

2.麹(酵母のエサになる)を寝かせる

3.乳酸菌、麹、蒸し米、水を混ぜ合わせ天然酵母が付くのを待つ=酒母(しゅぼ)

4.温度管理をしながら、酒母の酵母に麹、蒸し米、水を何度も加える=仕込み

5.約1ヶ月後に御神酒の出来上がり

※下図参照

お酒を造る「早米」と宮司さん


お問合せ先は、岡崎八幡宮まで。住所:山口県厚狭郡楠町船木宮本 電話:0836(67)0071